TAKEDA CUSTOMS

日本人シェイパーによるMade in Australia

TAKEDA CUSTOMSは、オーストラリアにて日本人シェイパーYoshiro Takedaによって制作されるサーフボードです。トップサーフボードブランドが立ち並ぶゴールドコーストというエリアで、日本人の彼が技術力を武器に独自の世界観でブランドを展開しています。そんな逆輸入シェイパーYoshiroとそのサーフボードとは。

北海道出身の彼は中学生の頃からシェイパーになるんだと周囲に語っていたそうです。卒業しサーフィンやスケートにのめり込みますが23歳で渡豪。英語力ゼロコネ無しでも、決して日本人とつるまないと決意していたそうです。分からないことだらけで、ビザや生活については後手を踏みます。ビザに至っては結果的に12年間も学生ビザでつなぎました。しかしながらその時間の犠牲と引き換えに、少しずつですが確実に自分自身がネイティブのオーストラリア人に近づいていきました。気がつけば友人も仕事の繋がりも全てオーストラリア人。目標は、うまく世渡りすることではなく、オーストラリアで自分のブランドを立ち上げること。そのために必要なことを直感的に分かっていたのでしょう。最初はサーフボード工場で修行しながらビザのために学校に通う生活を続けました。仕事して手に入れたお金を学校代に当てるの繰り返しです。サーフボード制作の技術を習得した頃、ついにバーレーヘッズに自社工場を持つことになります。この頃は無名ですが、自身の名前を取ってTAKEDAというブランドでスタートしました。タケダカスタムの始まりです。1本1本丁寧に、周りの友人の分だけでも制作し始めました。サーフボードの売上が学校代で消えてしまうというのはとても厳しい。普通の考えでは、未来の見えない学生ビザの連続ベット。しかし彼は、サーフボード制作こそが自分の生きていく道、ここで勝負する以外考えられないと信じる道を進みます。プライドの高いゴールドコーストのサーフィンインダストリーの中で、日本人が削るサーフボード?売れるわけがありません。実際2020年現在でも本当にたくさんの日本人が現地で勝負していますが、独自ブランド1本でシェイパーとして成り立っている日本人はYoshiro以外に知りません。あの場所で成功するというのは本当に狭き門。ではなぜタケダカスタムが、トップサーフボードブランドと勝負できるところまで登ってきたのでしょうか。理由はただ1つしかありません。「技術力」です。彼のサーフボード制作力は徐々にオーストラリア人を魅了していきました。そして2012年念願の永住ビザ取得。ここからタケダカスタムは大躍進します。なぜならもう学校に行かなくていい、1日の全てをサーフボード制作に当てられるようになったからです。サーフボード制作が大好きで朝から晩までずっと工場にいました。「I was born to do this.」という彼の言葉が全てです。日本人で本当にすごいやつがいるぞ、と雑誌に取り上げられ、イベントではサーフボードを並べて欲しいと頼まれるようになります。この頃から他のサーフボードブランドがグラッシングをして欲しいとOEM依頼も入るようになりました。グラッシングOEMの受け入れを「Yellow Monkey Glass House」と名付け、首の後ろの「Made in Japan」のタトゥーと共に、Yoshiroが世界に向かって日本の技術力の証明を打ち出しました。さらに認知が広がり、トップシェイパーやトップサーファーが訪れるようになります。2019年地元のブリューワリー主催のサーフボードクラフトイベントがありました。キャンベルブラザーズ、ダンマクドナルド、トーマスベクソンなど錚々たる22人のシェイパーが招待され各々がシェイプしたサーフボードを持ち寄りました。投票式で見事にYoshiroが1位を獲得。今は、TAKEDAに乗りたいとカスタムオーダーをたくさん受けるようになったため、グラッシングのOEMを受けるのをやめ、TAKEDA CUSTOMSの制作に集中しています。

Yoshiro本人と会話しますが、今も昔も何も変わりません。今でも彼は彼のスタイルでシェイプからグラスまでを一人でこなし、最初の頃と同じく1本1本を丁寧に制作します。趣味のバイクと波乗りをしながら、自分のペースでアートを追求しています。一人で制作しますので多くは作れませんが「それで良い、乗り手をハッピーにすることが自分の仕事だから」と言っていました。